「仲の良い友達は発達障害でした」 ― 発達障害と私 ① -
- Humans of Hirosaki
- 2019年7月31日
- 読了時間: 3分

~まえおき~
(一部地方自治団体では独自の方針で障害者を、『障がい者』と表記しています。「害」の字にマイナスなイメージをもつとして表記を切り替えてるそうです。賛否両論ありますが私
は表記だけでなく、各個人が考える思いが大切だと思い、ここではあえて障害者と表記する
ことをお許しください。)
P.N. りこぴん
はじめまして。
私は、弘前大学農学生命科学部分子生命科学科に所属している2年生です。
私が所属している学科は、農学がメインと思われがちな農学生命科学部の中でも、特に「生命科学」の部分が強い学科です。
生命科学、つまりは遺伝子についての勉強ができるこの学科に進んだのには、ある目的がありました。
私が将来自分の力で確かめ、社会に貢献したいと思うものが得られると思ったからです。
それは、『発達障害』についてです。
私は小さい頃から発達障害の方が身近にいる環境の中で育ちました。
小中の頃、発達障害の友達がいました。
共通の趣味を持ち、同じクラブ活動にも参加していて、一緒に過ごす時間が特に多かった子でした。
その子は、自分の感情をコントロールできずパニックを起こすことがありました。また、人の心情をとらえるのが苦手で悪意無く悪口を言ってしまうこともあり、これらの傾向からおそらくアスペルガー症候群だと考えられます。それと、読み書きが苦手だったり、学習障害の症状もみられていました。
当時小学生だった私は、その子の異変には気づかず、普通の子という認識で、異変に気付いたのは、中学でのある出来事がきっかけでした。

それは、授業中のことです。(あまり鮮明に覚えてはいないので、要約した内容とはなりますが、)
その子は些細なことで先生に注意され、泣き叫び、教室から出て行ってしまいました。
クラスメイトはみな呆然としてましたし、私もあまりの出来事にびっくりしてしまいました。
その後、担任の口から、その子が発達障害であることを告げられました。
「気づかなかったのか?」と言われ、二度動揺してしまったことを覚えています。
『親しい友人が発達障害だった――。』
この事実をきっかけに、『発達障害』について意識してしまうようになりました。
ご近所さん、通学で利用した電車、町中、学校…。少ないコミュニティ内でも巡り合わせが多く、直接関わることがたくさんありました。
その人の目線、挙動、言動、喋り方…。
「たぶん、あの人は――。」
決めつけているわけでは断じてありません。ただ、嫌でもわかってしまうようになったのです。
発達障害の方に巡り合う機会が多いぶん当然、トラブルも。

バイト先での店長の怒鳴り声。
「何度も教えたら、覚えるんだ――。」
「怠けているだろ――。」
「やる気がないのか――。」
怒られている人は、その店舗にいてかなり長いのですが。
毎日店長にそう怒鳴られていました。
教えられても、すぐ忘れてしまう。
マニュアル以外の対応が迫られたとき、何もできなくなる。
後でやろうとしたことをそのままにしてしまう…。
遠目から見ていても、『普通じゃない』ということには、私は気づいていました。
でも、
『その人は発達障害です。だから…。』
なんて、言えるわけもなく。
だって、あくまで私の憶測にすぎないですし…。
これ以外にも、障害のことをよくわからずに、障害者の方に対して適切な対応をとれない人をよく見かけました。
そのたびに自分にできることは何だろう、私がその人たちとかかわるのなら、どんな行動をとればいいのだろう…。とか。
ぼんやりと社会への疑問や関わり方、そして終には「どうして発達障害になってしまうのか?」を考えることが増えていきました。
思うに、これは私の使命なのだと――。
私が今まで歩んできた人生の中で、発達障害の方と巡り合う機会が多かった。
私以外の人にはできない、私だからこそできること。
障害の方が輝ける未来、当事者や周りの方をサポートしたい、
あわよくば発達障害の原因を探りたい。
と思うようになりました。

「仲の良い友達は発達障害でした」 ―発達障害と私①-
P.N.りこぴん
Memorandum
(from Humans of Hirosaki)
コメント